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荒野の一ドル銀貨―ブログ版
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ひつじ

平凡なひつじです。
風流かぶれのをかしな日常を
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2004.07.17.肯定
寝苦しい。せんぷうきだけを頼りにしているから。

ああこんな夜、こうていぺんぎんを枕にして眠れたらどんなにか涼しいだろう…。

いや待て、彼は極寒の地に生きるトリだ。
皮下脂肪と羽毛とでさぞやぬくぬくしているのに違いない。

氷山をバックにしたクールなイメージとは裏腹に、じつは暑苦しい。
かなりなまぐさいとの噂も聞く。

そんな彼を枕にして寝られるか、否か。それが勝負である。

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2004.05.15.草稿
スキを見てたまにここの原稿を書く。
電車の中だとか授業中だとかに一度書いておくと楽だ。

文を書くのが好きなのだけど楽ではない。これほど苦しく難しいものはない。テーマや話題は固まっているのに、本文がつっかえてまったく書けないことがよくある。

説明くさくならないようにするには。平坦にならないためには。語調は、オチまでの流れは、とそんなことも考え出すともうまるでだめで、ぱそこんの前で考え込んで静止してしまうこともある。そんな日はもうどうあがいても書けない。

だからせめて下書きをして、推敲する前の型紙を作っておけばいくぶんかは楽になるはずだ、と思いつき、スキを見て書いてみた。幾度か書いた。その甲斐あって「寸鉄」というテーマの草稿が完成した。

あまり合理的合理的とせかせかするのは嫌いだけれど、空いた時間を有効に使えているようで満足だった。


その原稿が今みつからない。

2004.03.06.餞別
昨日送別会に行った。

普通「追いコン」と言うようだけれども、「コン」がなんの略か判然としないためこの言い方は嫌いだ。そんなものは送別会である。会の最後には、卒業するひとびとに幹部(副部長他)が一言を添えてこころばかりの品を手渡すはこびとなっていて、いちおう幹部である私はそのうち二人を任されていた。

「私が新郎とはじめてであったのは名も無い場末の米軍基地、海兵隊相手にメスフラスコを振っていたところに右回転で転がり込んできたのが彼でした。当時進駐軍相手にローリング一本で立ち回っていた彼を冬の夕日が赤く染め抜いていて、やがて二人はアジアの壁とうたわれるまでになったのです」

計画では、渡す直前に「この品物を選んだのは」と切り出しておいてこんな風にデタラメのかぎりを述べてみようかと思っていたのだけれど、やめた。場にあまりよく知らない先輩が幾人かいたからだ。いきなりで笑いを取ろうとするには、このフリではやや前衛的に過ぎるきらいがある。初対面に近い人、そして酒の席、こういうときはもっとスタンダードなアプローチの方がよい、と思いなおして、つとめて冷静に口上を述べることにした。

じゃず研でも屈指の謙虚さを誇る、いや誇るがゆえにまた「すみません」と腰から謝ってしまうほど腰の低い先輩に、疲れたからだを休める「セクシーダイナマイト」入浴剤セットを、じゃず研でも屈指の代謝のよさを誇る、いや誇るがゆえにまた汗がとまらなくなるほど代謝のよい友達に、確か甘いものと酒が好きなはずだったのでカクテル入りチョコレートを、それぞれ進呈した。それほど気の利いたことは言えなかったけれど座が勝手に盛り上がってくれたおかげで、荷が下りる。

香りを楽しむものというのは、贈る相手の好みがわかっていないとお荷物になりかねないし、酒とチョコなどはいくら好きそうだからとはいえ一緒くたにしてしまったらどうなるかわからない。気に入ってくれたかどうか、微妙なものをあげてしまったけれど、昔から、物より思い出、プライスレスというではないか。「食べたらなくなるよ」と一応言っておいたので大丈夫であろう。

送られる側のひとびとに、「じゃず研はいごこちがよかった」という弁がいくつかあったのが胸に残る。やはり「追う」などという言い方は嫌いだ。

彼等、もうすぐ人生の処女航海に船出す。幸アレ。

2004.02.02.
帰途でのこと。

電車が御茶ノ水に着いたので、少し残っていたお茶を飲んでしまうことにした。口にあて、くい、とあごを上げると、目線の先には広告があって、狂っていた。

合格してグチャグチャになろう。

吹き出すところだった。

赤い背景に白抜きの文字で、簡潔に、簡潔に狂っている。目を疑ったけれど、確かにそう書いてある。降りるまぎわに近づいてよく見るとどこかの予備校の広告で、合格の瞬間の感動を味わおうじゃないか、涙でぐちゃぐちゃになろうじゃないか。と、熱っぽく語ってもいた。

受験シーズンのまっ只中ではある。けさも「受験会場こちら」という案内を見た。追い込みの時期ではある。けれどあなた方が追い詰められてどうするのか。

合格してグチャグチャになろう。

No future. という感じがひしひしとするではないか。酒におぼれ麻薬におぼれ、耽溺生活まっしぐらではないか。授業にも出ず部室に入り浸るさまが映じて消えた。坂道を、ただ転がり落ちる。何を力強く宣言しているのか。落ち着いたらどうだ。
【付記】
2003.12.29.警告
昼にかたやきそばを食そうと思い立った。
インスタントである。
あん部分を電子レンジにかけながら、かためんのパッケージを何気なく見ていたのである。
ふむふむと文字を追いながらくるりと裏面を向けた。そこにこう書いてあった。

麺は風味豊かに揚げてありますので
二つに割って盛り付けてください

はた、と私は沈思してしまった。その後確かに私はあたたまったあんを取り出し、ぱりぱりとめんを割り、盛り付け、食した。いいだろう、食しはした。かためんがやわらかくなっていく過程をおおいに楽しんだ。確かにうまかった。だが半日経った今、一見なにげのないこの文章の、恐るべきわからなさ・得体の知れなささに、私は押しつぶされかけている。

麺は風味豊かに揚げてありますので
二つに割って盛り付けてください

このかためんは、あんと別売りになっている。あんが一人前、かためんが二人前である。うっかり者が二食分をいっきに盛り付けてしまうという事態に備え、いちにんまえは半分にわけてくれろ、と注意を喚起する。そういう意図ならばわかる。「本品は二食分となっております」と、なるべく目立つように書いておけばよい。

だがそうではないのだ。それはすでに表面に明記してある。問題の文章は裏面の調理例の第一段目にあり、二人前だと量が多いから、ではなく、風味豊かに揚げてあるから二つに分けろ、と言っているのだ。

風味が焦点なのである。そしてその理由についての説明はない。しかも意図的に隠したという気配も感じられない。おそらく、裏面の担当者にとってこれは説明するまでもない自明のことなのだ。かためんを割らなかった場合には「コーラを飲んだらげっぷが出るくらい」確実に、風味が何かを引き起こすのである。社内のテストでも実証済みなのであろう。開発者もきっとただでは済んでいない。数々の「二人前現象」を目の当たりにしてきた彼(担当者)にとっては、「かためん」は「分けるもの」なのである。

果たして何が起こるのか私にはまだわからないが、私は文章の裏に、担当者がついに隠し切れなかったある名状しがたいものを読んだ。

かためんに潜むもの。私は、少し恐怖している。





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