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荒野の一ドル銀貨―ブログ版
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ひつじ

平凡なひつじです。
風流かぶれのをかしな日常を
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2005.01.30.解題
一ヶ月を経て読み返してみた。われながら見事なほどに下らない。「悪魔」、「悪党」、「わるいゆめ」、「凹メン」など、ワルいタイトルの時はなかなかよいものが書けたと自賛しているけれどそれにしても下らない。蛇足ながら、主だったものについて少し。


11.22. ウナセラディ東京
この時、井上陽水のカバーアルバム『UNITED COVERS』を聴いていた。本当にいい歌だと思う。しかし何がすごいと言って、「ウナセラディ」の意味がどうしてもわからないのもさることながら、歌詞が秀逸だ。

♯哀しいことも ないのになぜか
 涙がにじむ
 ウナ・セラ・ディ東京 ム・・・
 いけない人じゃ ないのにどうして
 別れたのかしら
 ウナ・セラ・ディ東京 ム・・・

「ム・・・」である。この歌はこれに尽きる。

11.23. 泥
前日からの流れでわかるように、やさぐれている。泥酔に近いくらい酒をくらっていた。句点なしで文を繋ぎ続けるのは読み手への嫌がらせ以外のなにものでもない。

11.24. わるいゆめ
前日からの流れでわかるように、やさぐれている。誕生日で人生のピークを迎えたとするなら、直滑降で人生の谷へと滑落した感じであった。これだから人生はわからない。

11.25. 凹メン(man)
「凹面」と「凹面ばかりの男」と、「666(オーメン)」との掛詞。傑作ではないだろうか。だがいまだ誰にも褒められないので、そうでもないのかもしれない。

11.30. 蜜色トラブル
吉井和哉のエッセイ集に『蜜色の手紙』というのがあって、この「蜜色」という魅惑的な語を使いたくてうずうずしていた頃、ちょうど降って沸いたように災難が来たのであった。

12.02. 悪魔
素材(錦糸町の男)は、一点の非の打ち所もない一級品であった。あとはどう料理するかにだけかかっている。クロマグロの大トロを目の前にしたら、きっと職人はこんな気持になるのだろう。前半は最低限ぎりぎりだけの描写で挑んだ。

12.04. 雨に歌えば
この日午後九時、雨に濡れる街並を眺めつつ、カフェで一人本を開く、などと、恐ろしくハイレベルなオトナ行動をしてしまって、ちっとも落ち着かなかった。オトナへの道はいまだ遠い。

12.06. 倍数
ネタがないのだと思われそうだけれど、実際に偶数が好きなのだ。奇数の年は落ち着かない。17歳、19歳、23歳などの素数の年は最悪だ。思えば昨年は24歳で2004年、実に落ち着きのいい、いい年だった。それと確かにネタはなかった。

12.07. 悪党
四日の出来事。婉曲表現の集大成である。冒頭に「トイレ」と書かなければ、何を行ったのかほとんどわからないのではないか。内容は連続更新中でも一・二を争う下らなさだったが、好評を博した。

12.09. 熟成
流行ってしまったらもうダメだ。歌手であれ映画であれ本であれ、よほどのことがない限りもう二度と眼にすることはなくなる。そういうアンチブーム体質が、『サラダ記念日』刊行時(小学生)に既に備わっていたらしい。なんとひねたお子様か。

12.11. 歯病
歯が痛かった。それだけのことなのだけれど、いかに「歯が痛い」と言わずに表現するかに挑んだ野心作。直後、掲示板がモールス信号で占拠された。

12.12. 齟齬
”盲導馬”が話題になった頃。小柄な馬がまったくのほほんと人を振り回す刺激的な光景に、『ウシ』という(世の中の犬を牛で置きかえたらどうなるか、がテーマの)恐るべき歌を思い出して、以降、数日というもの本当にウシのことしか考えていなかった。なんだったのか。あの狂騒は。

12.14. 延長
疲れ果てていて、倒れ臥すなり眠りに落ちそうだったのだけれど、それすらもネタに使える、とほくそえむ自分がいじましかった。文調がどこかねむたげで気に入っている。

12.16. 閃光(未読の方は注意
タイトルを「殿中」とすべきかかなり迷った。
しかしこれは「忠臣蔵」が大オチだから、少しでもそれと匂わすことは書けない。かといって字面では他の候補は及ばない。最後まで足掻いた一品だった。
なお、「嗅覚は古い記憶を浮かび上がらせる」はレイチェル・カーソンの『The Sense of Wonder』から。

12.17. 無実
町田康文体。かつてはこんな風に、文を切らずに果てしなく延長してゆく町田流こそが自分にとって最も自然な文体だった。ゆえに、ぞっこん代筆日記時代()は読みにくいともっぱらの評判だった。
2004年から大幅に文長を短くして簡素な表現に努めたのだけれど、しばらくたって、「あの読みにくさを乗り越えたところに楽しみがあると思って、がんばって読んでた」という熱心な読者の声をいただいた。書き手冥利に尽きる。
(ぞっこん日記2003年5月より転載)


思い違いをしているひとに出っくわすと、胸が震える、
ことに相手が成人をすぎた若者であれば
その感動はいやがうえにも増してしまう、
それというのも、
これまで歩んできた&刻んできた人生において、
その勘違いに気がつくチャンスは
ほとんど気絶するくらい十分にあったはずであるにもかかわらず、
そのいずれをも無意識に回避してなかば偶然によってのみ
ここまで生きてきた、彼、あるいは彼女の、
触れただけでさらさらと崩壊してしまうような淡い夢が、
ついに崩れ去り、苦い現実を突きつけられてただただ立ちすくむ、まさにその現場に私が立ち会えてしまっている(しかも多くの場合ハンマーを振り下ろすのは私自身なのであるが)
と意識するとき、
私の頭上になにか名状しがたいウズが
ごうごうとさかまきはじめて、
その奥に、神の幻像、
携帯をいじりながら片手で杖をぷらぷら振る、
やる気のなさそうな神の御姿をかいま見ることが出来る、
それがゆえなのである。

12.19. 主役
記念すべき、初めての三人称視点。になるはずだった。「男は~」で書き続けようとしたのだけれど、いつのまにかいつもの自分視点に。「私」を使わずにこの状況を書こうとして、さんざんに苦心して、挫折した。この日の文体は、最近とりつかれたR.チャンドラーを目指して。けれど内容がどうしようもない。

12.20. 切腹
数年前、ある無料掲示版を借りた。書き込んだ文章の中の特定の単語をさまざまに変換できるレンタル掲示版で、「!」をすべて「切腹!」だの「吐血!」だのにして遊んでいたら、それが縁で知り合いが出来た。今なお続く、実に奇妙な縁である。

12.21. 天秤
鯛焼きを落とした記録。主観的な時間、人間の葛藤、内面心理を鋭く描き出した問題作、ではない。別にそんなことはない。

12.22. 時宜
デビッド・ボウイのアルバムタイトルから、「時宜・スターダスト」にするか迷うも、二字の縛りはもはや解きがたく。書き出しでは官能小説を目指した。誰もそんな風には読んでないと思うけれど、淫靡なこともたまには書いてやろうかしら、との意気である。しかしやはり内容が下らないので台無しだった。淫靡というよりビロウだ。


様々な文体と表現技法を試みた三十日であった。
やっぱり書くのは楽しい。
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