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荒野の一ドル銀貨―ブログ版
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ひつじ

平凡なひつじです。
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2005.04.10.乱造
以前、友人らと食事したとき、こう提唱したことがある。

「人生だ」と呟くと、たいていのことは金言にできる。

と。

何故か座が沈黙してしまって同意もそれほど得られなかったので、それ以上は語らなかった。だが今ふたたび唱えたい。日常のどんな細かな一瞬でも、煎じ詰めれば人生訓になり得るに違いないのだ。

いくつか例証してみよう。

先日夜道を歩いていた時のこと。靴のそこを軽く鳴らしながらこつこつ歩いていたら、左足に違和を感じた。
見ると紐がゆるんでいる。

直しながら思った。
紐というのはいつもこうだ。
きりりと結んだ筈なのに、いつの間にか弛んでしまう。
ほどけてしまう。

まさに人生だ。

夜も更け、花粉症の薬が切れてきた。抑制していた鼻水がだんだんに降下を始める。
まだ手元は作業中でティッシュを出すのが面倒なので、首だけ上に反らしつつ耐えた。

しかし残酷な鼻水は容赦を知らない。
忍耐と表面張力の限界をやすやすと超えて、彼(鼻水)は押し流れる。いつだってそうだ。

それこそ人生のようにだ。

この夜、いくつの人生訓が得られたかは詳述すまい。

だが万が一、ひょっとしたら読者の中には、これのどこがいったい金言なのか。人生の諸相のうちの何を言い当てているのだか、さっぱり見当もつかない。いい加減なことを書きやがって、ぶっころす。と思われる向きもあるかもしれない。

余計な説明を加えてしまうのはあまり本意ではないのだが、ことわざというものもおそらく、「まさに」「なんだそりゃ」「だからさあ」という、説明と納得との果てしも無い繰り返しから始まったのに違いない。
少しだけ解説をしようと思う。

まず、靴紐についてのいくつかの要点をまとめておこう。

・我々はその結び方を知っている(あるいは、つもりである)。
・こんがらがると解くのは容易ではない。
・ほどけたことに気がつくのはほぼ、事後である。

自明のことだが、紐は「人間関係」の暗喩である。

そして話を私の場合にだけに限るなら、同じような手順と力加減で結んでいるのに、あっという間に解けることもあれば何年もそのまま維持されることもあるのだ。

ほどけないようにするにはどうしたらいいのか、ほどけないのは何故なのか、未だによくわからない。
そうして気がつくとほどけている。
これが人間関係でなくていったい、なんだ。

以上を踏まえてもう一度、ゆっくりと唱えてみて欲しい。

きりりと結んだ筈なのに、いつの間にか弛んでしまう。

鼻水の意味するところについてはまだ私自身、問題の決着をみていない。
各自がそれぞれの解釈で教訓を引き出してくれれば幸いである。健闘を祈る。
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