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荒野の一ドル銀貨―ブログ版
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平凡なひつじです。
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2004.11.28.ジャム・セッション
昨日の一連の妄想を友人に話してみた。
するとジャイアン登場のくだりで「そのリムジンはスネ夫のだよね」と返された。

目からうろこが落ちた。まったくのところそうに違いない。

ドラえもん世界においてジャイアンが自家用車に乗るなどと、馬鹿も休み休み言えだ。誰のものも彼のものなのだ。ジャイアンがリムジンでやってきたならば、それは骨川家所有のにきまっているではないか。指摘されるまで気がつかなかった。

ジャズ演奏、特にセッション(即興演奏)の楽しみのひとつにはたぶん「音で会話する」という要素がある。ある程度のレールにのっとって曲を演奏しているさなか、奏者のおのおのが、周囲の音に反応して即興で展開を生み出す、という快楽がある。これができるようになればきっと面白くて仕様がないことだろう。

ジャズ研に居ついて三年、その麻薬のような感動を生み出すことはまだ出来ないけれど、眼前で繰り広げられる、一瞬の火花のきらめきは何度も見てきた。音は体の奥底に響いた。だから確信を持って言える。

妄想はセッションである。

楽器はその舌、音は言の葉。
とびきりのひらめきさえあれば、いつどこでだって始められる。

部屋にひとりきりでも妄想は膨らませられる。けれど、誰かに話し、語り、伝染させて、共にどんどん作りこんでいくときの楽しさはなにものにも換えがたい。

予想だにしない意外なコメントで、考え付きもしなかったような方向に話が暴走しはじめる感動、自分の発言で劇的に世界の色調が変わる感動、一秒先にどんな展開が待っているのかその場にいる誰もわからない。それは即興であり瞬間の芸術であり、やはり麻薬である。

ジャズの引出しを無数の旋律の断片だとするならば、妄想の引出しには、政治経済科学スポーツ宗教歴史地理文学芸術、広く深くにやはり無数の知識が要求される。ジャズ研部員が自分の引出しの貧しさを嘆くように、妄想を趣味とするもの(ファンタジスタと呼ぶことにしよう)は、決まりきったフレーズしか出てこない己の浅学さを嘆く。

両者の対比はぴたりと一致する。
偶然か、友人のファンタジスタはほぼみなジャズ研部員だ。

即興で世界を紡ぐ快楽を知っているからだろうか。
それともただ致命的な馬鹿が致命的に集まっているだけなのか。


よくわからないけれど、まあどちらでもかまわない。
彼らは私の至宝である。
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